例えばいま自分がいる場所に満足していても、
自分にとって特別なナニカってありますよね。
またブログのことを忘れていました。
何度でも、復活です。
]]>ホームの作り方です。
おさらいとして、、、
〜カンボジアで家を建てた方法〜
(我が家の場合)
?土地を購入
?外壁をつくる
?土を投入
?井戸をつくる
?トイレをつくる
?植物を植える
?木材を購入
?小屋をつくる
?電線をひく
今回は、?・?・?です。
いよいよラスト。
カンボジアも現在は石造りの家が増え、
伝統的なスタイルの家は減ってきたようです。
理由はいろいろとあるでしょうけど、
木の方が高いですし、虫が入りやすいとか。
我が家はどうしても木で作りたいという気持ちがあり、
普通に木材屋さんで材料を購入する方法もあるのですが、
木材は昔の木を集めた方が質がいい!ということで、
いろいろと苦労しました。
つまり、古くなって放置された民家や木材を購入する、
という方法で木材を集めました。
こういうとき、カンボジアは「口コミ」が強いですね。
「誰か古い民家売ってくれる人いない?」と村の人たちに
言っておけばいいのです。
放置された古民家は、こんな感じです。
これをばらして、トラックで運びます。
事前に色々と許可を取ったにも関わらず、
運ぶ途中で警察にとめられ、ワイロを払わなければ
没収すると言われ、仕方なしに数千円のワイロをお支払い
なんていうハプニングもありました。
その後、購入した木材は水に浸けておいたり干したりと
いろいろ状態をよくするやり方を試しました。
古民家だけでは足りなかったため、
同じように古くなった木材を安く売ってくれる人を探し、
今もまだ残っている分はそのまま置いてきました。
いずれ、きちんとした家を建てようかと。
庭に置いてあるため、売ってほしいという人がいるよと
カンボジアにいる親族から連絡がくることがあるようです。
最初は東屋だけ作り、後からそこを小屋にしちゃえと
村の職人さん2人と旦那さんで作りました。
できたのが、この小屋です。
屋根裏付き。
屋根は藁葺き屋根というやつですね。
3年に一度ほど交換しなきゃいけないのが大変ですが、
かわいいし、なにより涼しい。
ちなみに、カンボジア版瓦屋根の材料もいらなくなって
放置されているものを売ってほしいと村の人にお願いしたら、
「持っていってくれるならお金いらないよ」ということで、
ありがたくいただき、そのまま置いてきました。
つまりまだ材料がいろいろとあまっているので、
いずれ、いずれね。
それから、この場所にはまだ公共の電気が通っていなかったので、
それも自分たちで引きました。
姪っ子の旦那さんが電力会社のマネージャーをしていたので、
手伝ってもらい材料費以外は無料でした。
このように、いろいろな人脈に助けられ、
お金がない我が家もホームができたわけです。
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ホームの作り方です。
おさらいとして、、、
〜カンボジアで家を建てた方法〜
(我が家の場合)
?土地を購入
?外壁をつくる
?土を投入
?井戸をつくる
?トイレをつくる
?植物を植える
?木材を購入
?小屋をつくる
?電線をひく
今回は、?・?・?です。
まず、水道の通っていない場所ですので、
井戸をつくります。
一般的に井戸というとこれではないと思いますが、
このタイプが安く作れるということで。
青いプラスチックの部品は近くの市場で買いました。
まずは暮らしには水が一番大切です。
水を引いたら、トイレ。
作っている最中の写真がなかったのですが、
レンガを積み上げ、ドアをつけ屋根(トタン)
水道をトイレまで引っ張り、水溜も。
モーターで水を水溜に溜めておき、
桶ですくって水浴びをします。
植物は少しづつ増やしていきましたが、
最初に大まかな場所を決めて植えました。
旦那さん曰く、大木になる果物など位置関係を
計算しながら植えないといけないそうで。
実は、土地の整備など終えてから住む場所となるまで、
3〜4年時間が空いていますが、果物は人が住んでいた方が
すくすく育ちますね。
カンボジアはさすがの熱帯雨林、
たった数年であっと間に
植物が木に成り、果物が成り。
どんな風に果物が採れるようになるか、
そのうちその様子もアップしたいと思います。
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ホームの作り方です。
我が家の場合、土地だけ購入し長いこと放置していました。
多分、10年ほど。
購入した土地は、旦那さんの実家のある村で、
そこに家を建てて住むかどうか悩んでいたからです。
おさらいとして、、、
〜カンボジアで家を建てた方法〜
(我が家の場合)
?土地を購入
?外壁をつくる
?土を投入
?井戸をつくる
?トイレをつくる
?植物を植える
?木材を購入
?小屋をつくる
?電線をひく
?土地を購入
今考えれば、安かったなぁと思います。
ざっと言うと、100万円以下で購入しました。
今はとてもその値段では買えません。
数倍、数十倍はすると思います。
まさか村が今のような状態になると思っていませんでしたが、
新しい道がどんどん通り、農地は分譲地化され住宅地に変わりつつあります。
カンボジアは不動産投資が大人気です。
?外壁をつくる
?土を投入
土を購入し、トラックで運んでもらいます。
1台分で数十ドルです。
これを徐々にならしていくのが大仕事。
平行し、外壁をつくります。
カンボジアはレンガを積み上げて外壁をつくります。
それをやってくれたのは全て旦那さんの村の友人・知人たち。
そして我が家の子どもたち。
土入れが終了するとこんな感じ。
このときは元々あった大きな椰子の木以外、なにもない状態です。
そこに苗をどんどん植えていきます。
ほとんどの苗は村の民家に生えているものを、
「ください!」と言ってもらってきたものです。
とりあえず、ここまで。
また後日、続きを綴ります。
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今年はどうなるかわかりませんんが、
昨年子どもたちが小学校で音楽会に参加し、
まだ日本に引っ越してから1ヶ月程度だったので、
その光景が不思議でならず、
時空を超えている気がして可笑しかったです。
我が家の双子が参加した合唱曲が、
「いつだって!」というものだったのですが、
すごく心に残る詩と、子どもたちの声でした。
歌詞の一部を抜粋しますが、
君が 笑うなら 君が 泣いたなら
ぼくも一緒にさけぶから
ぼくらいつだって みんな友達さ
この地球に生まれ そして 出会えたから
ちょうど、はじめて日本の学校へ通う
我が家の子どもたちを受入れ一緒に遊んでくれている
クラスメイトたちを思い、じーんとしました。
それから、体育館。
久しぶりの「学校の体育館」は、
なにも変わっていない気がして、
とても懐かしいと思いました。
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現在、私たち家族は日本にいますが、
この先どうなるかはいつものことながら、
まだよくわかりません。
とりあえず、
子どもたちが高校を卒業するまではここら辺にいて、
その後は各々好きなようにすればいいかなと思います。
カンボジアの家はそのままにしてあるので、
将来土地を子どもたちで三等分して、
売りたければ売ればいいし、住んでもいいし、
そのとき考えてもらえばいいかなと。
ところで、どうのようにして、
カンボジアの農村に家を建てたかというと。
といっても実は家と呼べるような物でもなく、
小屋と呼んだほうがいいかもしれませんが。
〜カンボジアで家を建てた方法〜
(我が家の場合)
?土地を購入
?外壁をつくる
?土を投入
?井戸をつくる
?トイレをつくる
?植物を植える
?木材を購入
?小屋をつくる
?電線をひく
*実際には順番通りでもなく、平行している部分もあります。
そして、だらだらと何年もかかっています。
お金と決断力があればそんなことはないのですが。
そのうちに写真などもupしながら詳しく説明したいと思います。
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戦争を語った、心に響く言葉があります。
「戦争は嫌でございます。
親孝行ができませんし、
なにしろ散らかしますから」
岡本文弥
こちらの画像は、心臓に多大なるダメージを与えるもので、
ピューリッツァー賞をとっていいと思うのですが。
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心臓にダメージを受ける瞬間や言葉があります。
「そうはならなかったんだよ。
ならなかったんだよ、ロック」
BLACK LAGOON/広江礼威
2回繰り返すことにダメージを受けたので、
アニメではなぜ1度なんだと思いました。
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カンボジアから静岡へ引っ越してきて、10ヶ月。
だんだん恋しくなってきました。
そういうものです。
カンボジアに住んでいた頃の感覚では、
一時帰国のとき、
日本に到着し空港から市内へ出ると
目がチカチカするというか、
町並みがなんだか無機質に感じて
不思議な感じで、
コンビニや本屋さんへいくだけで
夢の中にいるような足下が
ふあふあするような状態でした。
だいたいが1〜2週間くらいの滞在だったので、
ひたすら刺身や寿司などの海鮮ものを食し、
その他の日本食を食べる余裕がありませんでした。
そしてなにもかも便利すぎる日本の生活に
だんだん自分がだめになってしまうような感覚に襲われ、
便利を惜しみながらもカンボジアへ帰国。
どちらへ行くにせよ、
「帰国」と思う不思議。
今回、日本に戻ってきた当初は同じように、
ふあふあしていて、その後だんだんと
「ふあふあするといっても、この場所で育ったんだよな」
と冷静に町の様子をみつめ、徐々に慣れて
日本に住んでいるのがごく普通の状態になってきた、
といった感じです。
それで今度はカンボジアが恋しいなぁと思ったり。
一番恋しいのは、家かなぁ。
カンボジアの我が家。
今現在は甥っ子夫婦とその両親が住んでいます。
誰も住んでいないと土地が良くない状態になるとかで。
家の裏。
この田んぼも、いつかはなくなるかもしれません。
我が家の子どもたちも、
ついこの間までは
村の子1、2、3だったんですけど。
不思議。時空をこえている気がする。
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たぶん8年ぶりくらいにmixiにログインしました。
普通にまだあるんだ、と思いました。
自分で自分の過去の日記を読むと、
懐かしいし可笑しい。
日々のちょっとしたできごとは、
日々忘れていくものですね。
自分のために書いているんだなと思います。
ブログもしかり。
静岡での暮らし、7ヶ月くらい。
静岡にはあまり在住カンボジア人がいないものですから、
旦那さんはつまらないようです。
「ここにはカンボジア人がほかにいないからひとりぼっち」
と言う旦那さんに、
息子が「ここにカンボジア人は4人いるじゃん。ぼくたち」
と言っていました。
「お前たちは日本人じゃない」と旦那さんが言うと
息子が「ぼくたちはね、両方」
と言っていました。
9歳の息子のつたない話し方も相まって、
なんかいい。
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以前、映画や本の感想を綴ったブログをやっていたのですが、
もうずっと放置して存在すら忘れかけていたところ、
自分で過去の記事を読んでみたら、おもしろい。
ブログは日記なんだなぁと思います。
そしてやはり、そのときに思ったことも日々
どんどん忘れていくものだから、振り返ってみると
こんなこと考えていたんだっけ、
と気づき面白いものだなぁと思いました。
自分で過去の記事を読みながら、
「この本を読んだことすら覚えていない」
ということもあって、どうしようもないですね。
私の大好きな岩井俊二さんが、
重要なのは、
何を観たか?ではなく、
いつ観たか?なのだ
トラッシュバスケット・シアター/岩井俊二
と言っていたように、
観るときによって感想もかわったりします。
すごくおもしろいと思った記憶はあるのに、
数年後改めて観ると、
あれ?ということもあるし、
その逆もありますね。
そんなわけで、もうひとつのブログも再始動です。
]]>
振り返ってみると。
2011年 静岡から沖縄へ移住
2012年 沖縄からカンボジアへ移住
2019年 カンボジアから静岡へ移住
という流れです。
昨年、静岡へ引っ越すことも突然きまり、バタバタと。
いつもそう。
昨年は免許の更新があり、一人地元に一時帰国し、
今後また家族で日本に住もうかとおぼろげに考えていたのですが、
結局そのまま静岡にいながら準備をすすめ、
旦那さん+子どもたち3人も静岡へ。
まさか私もカンボジアへ戻らずとは思っていなかったし、
LCCで荷物が9キロまでという制限があったので、
お土産もあるし、自分の荷物など
ほとんどなにもないままでした。
仕事を探し、
子どもたちが転入する予定の学校に問い合わせ、
アパートを探し、
3ヶ月ほど離れていた家族と静岡空港で再会。
子どもたちは学校に通い始め、
音楽会に参加したり、
修学旅行へ行ったり、
すんごい不思議。
時空をこえているかんじがします。
]]>
しばらく会っていなかったカンボジア人の友人に再開したとき、
なんだか前より日焼けしていたので、
「あれ?なんか日焼けしてる?どこいってたの?」
と聞いたら、
「ちょっとしばらくフィールドに行っていたから」
と答えがかえってきたのですが、
フィールド....
なんかいいですよね。
これからは私もその言い方にしようと思いました。
フィールド=田園
カンボジア探検隊
]]>しばらくのあいだ、よその国に住むこと。
けっして旅することをやめないこと。
もしはるか遠くまで行くことができないなら、
その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。
スーザン・ソンタグ
することはあまり変わらず。
]]>
魔方陣グルグル/オババ
慣れた生活はらくで、心地よく。
それなのに気持ちが沈んでいくことがあるのはなぜだろう。
環境を変えたくなるこの性質。
]]>
今よりもっと、輝いているような気がします。
もちろんどこからか拝借してきました、
古い写真たち。
聞いた話では、
カンボジアでは遺跡にある彫刻を
遺跡の外に持ち出すのはよくない事であり、
博物館で保管するよりも、
あるべき場所に残したいそうです。
しかしそれが、盗難を容易にしてしまったとか。
一度盗まれた彫刻は元の場所に戻さず、
博物館へ置くそうで、
そう思うと博物館でみることのできる彫刻も
そのような過去があったのですね。
今はみることのできない鐘。
どこにいってしまったのでしょうか。
ジャヤの鐘に似ていませんか。
釈迦になることを目指していた、
ジャヤヴァルマン7世。
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]]>
]]>
カンボジアではカエルも食べますので、
市場にも普通に売られています。
旦那さんの村ではよく自分たちで捕まえていますが。
からあげにして食べたり、炒めたり。
カエルの肉詰めとでもいいましょうか。
作ったものが売られています。
カエルは、鶏 豚 牛と同じようにとても一般的な食材ですが、
自然な生き物であるためか、
いつでも食べられるわけではなく、
多いのは雨季です。
]]>
料理をして食べます。
ダシをとった後ヘビはぶつ切りにして、
またお粥に入れていました。
なんですかね、このおいしさ。
滋養強壮にもよさそうな気がします。
イタリアンで一番好きなお店がこちらです。
Mamma Shop というお店。
イタリア人の旦那さまとカンボジア人の奥さまで経営している
小さなお店ですが、ほんとうにおいしい。
日本で食べていたイタリアンはなんだったのかと思うほど、
パスタがおいしい。
チーズ入り手作りニョッキのチーズソースがけ。
なんとも太りそうなメニューですよね。
サーモンクリーム入り。
ものすごくおいしいです。
見た目は全部似たようなものですが、味は違います。
しつこいようですが、本当に本当においしいです。
牛肉のカルパッチョ。
旦那さんと一緒に、ワインを飲みながらの絶品イタリアン。
幸せです。
]]>
スマフォを使っていながらトイレはないという不思議。
豚ですら放し飼い。
どこに行ってもやることは一つ。
宴会です。
蟹と穴子。
美味しい!
豚も犬も、骨ちょーだいと寄ってくる。
しかし日帰りは疲れますね。
今後はまた泊まりでゆっくりしたいです。
今回、旦那さんの友人家族も一緒に車三台列なって行きましたので、
帰り際さんざん飲み食いした分のお金を払おうとすると、
この家の人々は「そんな事はやめてくれ」と受け取ろうとしませんでした。
旦那さんたちも「そちらこそこんなことはやめてくれ」と言い押し問答になり、
最終的に「お金を受け取ってくれないならもうこないからね」
と言うと渋々受け取ってくれました。
なるほど、そうすればいいのかと感心しました。
]]>
Bell Restaurant & Bar。
ここのカンボジア人オーナーは、
フランス系NGOサラバイという、
料理の専門学校のような場所の元先生。
レストランで働くスタッフも全て、
元自分の教え子たちです。
私たち家族とオーナー家族は同じアパートに住んでいたことがあり、
その頃からのお付き合い。
レストランだけでなく、
ブティックホテルやナイトマーケットで店舗も経営する働き者ご夫婦ですが、
親切で楽しい、素敵な人たちです。
石窯で焼くピザ。
美味しい料理と、お酒。
オーナーとお喋りして結局閉店時間を過ぎて、
長々飲んでしまいます。
あとは日常会話程度ということですが、
普通の能力じゃないよなぁと思います。
もっと別の仕事ができるのではと考えてしまいますが、
彼はこの自由な雰囲気が好きなのかもしれません。
]]>卵売りの少年がいます。
多分、小学校高学年くらいでしょうか。
学校には行っていないようです。
口が達者で生意気な子なんですね。
クレヨンしんちゃんみたいな。
愛すべきクソガキです。
昨日、写真を撮ろうとすると彼はいやがりました。
「外国人はいつも僕を撮ろうとする。
勝手に撮って去って行く。
僕は写真が好きじゃない」
なるほどなぁと思いました。
この市場には少数ながらも外国人をたまに見かけます。
多分、若い少年が立派に働いている姿が珍しくて、
写真におさめようとするんじゃないでしょうか。
そんな時、一声かけることは必要だと感じました。
勿論、気にしない人もいますが、気にする人もいます。
少年はやめてと言いたくても外国人相手にはうまく伝えられないのかなと。
私も、写真を撮る時は気をつけようと思います。
新年から、場所が若干移動しました。
前よりバイクが停めやすくていい。
]]>
彼の住むアパートの大家さんの息子でもあり、
友人の日本語ガイドさんと一緒におつまみを作って、
お酒を飲みました。
カンボジアの男の人、お酒のおつまみは皆が作れますね。
手作りの小屋。
すごく素敵な空間だと思いませんか。
ちょうど先日、友人から「こんな生活がしたい」
と言って送られてきたメールのことを思い出しました。
でも両者はなにかが違う。
ハワイのロハス生活はすごくお洒落でしょ。
カンボジアのロハス生活は、
子供の頃に憧れた基地に似ている気がする。
]]>
色んな物が売っています。
例えばね、買い物をした時に小さいお金がない場合があります。
それで大きいお札(と言っても10$とか)渡すと、
「つけにして」って言われるんですよ。
お釣りがないか、もしくはめんどくさいんですよね。
つけにしてってそれそっちの台詞?みたいな。
人との繋がりが濃いままであってほしいです。
日本のように個人商店がどんどんなくなって行くのは寂しいですから。
つけに助けられることもあります。
現金をギリギリまで銀行のATMからお金を引き出ださずにいて、
とうとうまったく手持ちがなくなり、いざおろそうと思ったら
システム障害なのか町一帯のATMがつかえなくなったことがあります。
こんなときは、つけのきく文化でよかったと思います。
]]>
とても小さな町ですが様々な国の人が訪れ、
そして住み着く場所です。
ここにはスターバックスもマクドナルドもありません。
でも、素敵な個人経営のお店が多数存在します。
この町の雰囲気、味わったらきっと癖になりますよ。
オールドマーケットにある、セントラルカフェ。
フワッカリっとパンケーキ。
夜はカクテルと、おつまみも美味しいです。
クリームブリュレとカクテルを一緒に注文したら、
旦那さんに
「お酒と甘いものを一緒に!?」
と驚かれました。
]]>
カンボジアのお盆の時期でしたので、
ピクニックをしている人がたくさん。
そして、遅くなってしまったので
近くの民家にホームステイをすることに。
バンテアイチュマール遺跡周辺の村では、
ホームステイのシステムがフランス人によって作られているそうで、
外国人観光客を受け入れている民家がたくさんありました。
料金は1泊7$程で、夕食や朝食も(別料金)その家で作ってくれます。
朝、私たちは民家の目の前にあった
青空屋台でお粥を食べ、
シェムリアップへ帰りました。
]]>